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最高裁判所第二小法廷 昭和27年(あ)1203号 判決 1952年8月29日

主文

本件上告を棄却する。

理由

被告人の上告趣意は、原判決が戦争放棄に関する憲法第九条及び言論、出版の自由に関する憲法第二一条に違反するというに帰するのであるが、原判決の地方公務員法第三七条第一項、第六一条第四号に関する判断は何ら憲法第九条の関するところではないから、同条に違反する旨の所論は、原判示にそわない主張である。

次に憲法第二一条は言論出版の自由を保証しているのであるが、しかしながら同条の自由も何らの制限もないものではないことは犯罪の教唆の如き自由のないところからも明であるし、当裁判所大法廷は、食糧緊急措置令第一一条の合憲性に関し、国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂し、公共の福祉を害するような所為は、言論の自由の限界を逸脱すると判示しているところである(昭和二三年(れ)一三〇八号同二四年五月一八日大法廷判決、判例集三巻六号八三九頁)。

本件における第一審判決の判示にかかる、被告人が室蘭市警察吏に配布した「全室蘭の警察幹部諸君に訴う」なる文書(昭和二六年領第九十九号の一)によれば、同文書の内容が、地方警察吏に対して怠業的行為を慫慂するものであることは明らかであり、地方警察吏が怠業を行うことは法の禁ずるところであって、かかる行為を慫慂するがごときことは、憲法の保障する言論の自由の範囲を逸脱するものであることは前示大法廷の判例の趣旨に徴して明瞭であるといわなければならない。尤もかかる慫慂によっても、怠業的行為の起る危険が全くないような場合には、犯罪を構成しないといわなければならないが、前記文書によれば警察職員中警備、情報、捜査特務等の特高活動をするもの等に対しては、「これらの一人一人を人民の敵として記憶し、来るべき日において最も峻烈なる人民の処罰を課するであろう」なる脅迫的文言を弄せる箇所等にかんがみるときは、本件被告人の所為のごとき必しも、その危険性なしとすることはできない。

然らば本件をかかる行為をそそのかしたものとして同法第六一条第四号を適用した第一審判決を容認した原判決は結局正当であってこれを憲法第二一条に違反するという論旨は前記判例の趣旨に徴して理由のないものである。

その他本件については刑訴第四一一条を適用すべきものとは認められないもので刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。

右は栗山裁判官の下記補足意見を除き裁判官全員一致の意見である。

裁判官栗山茂の補足意見は次の通りである。

言論の自由が濫用されて、社会の秩序と安全とか現実に侵される場合はもとより、社会にとっては、その秩序と安全との保持の見地から実害の発生を拱手して待つまでもなく事前に防止の手段を講ずることも許されなくてはならない。さればといって、言論の自由の正当な行使を予防に名をかる権力行為の対象とされては憲法による保障は全きをえないことになる。つまりこの線で予防が正当であるか予防に名をかることになるのかが機微な問題であるが、少くとも表現された言論が社会に対し実害を与える危険が充分に認められる程度のものであれば、それを正当な予防の対象たらしめるのでなければ社会の秩序と安全との保持は全きを得ないから、この場合は実害を与えたと同じ価値を認めて言論の自由の濫用があるとするのが相当である。この前提から出発して、裁判所としては実害を与える危険が充分に認められるかどうかは、具体的事案において証拠によって判断すべきものである。更に新法の趣旨を厳格に解すれば、裁判所は国即ち検察官をして危険が充分に認められるかどうかの客観的事情を立証せしむべきである。

即ち這般の情況証拠を提出せしむべきである。新法の下では検察官の立証がないのに、裁判所が証拠によらないで右危険が充分であると推断するのは、独断、専恣の裁判という非難を免れることはできないことはもとよりであるが、裁判所が徒らに職権による証拠調をして、この点の認定をすることもなすべきではないと考える。卑見では、かような制約は民主政治における言論の自由の重要な地位に顧みて、その憲法の保障を適用する上に、裁判所として自ら定むべき採証法上の基準と考えるのである。

如上の見地から第一審判決を検討すると、被告人高橋馨がたとい日本共産党員であっても、一室蘭市警察吏員に判示内容の一紙片を読んでくれといって配布したことが、起訴状記載のように、地方公務員法三七条にいう怠業的行為の遂行をそそのかすことになるのには、被告人のした表現の全体が怠業的行為の遂行という違法行為が現実に発生する危険が充分あるという客観的事情の下においてされたという証明が検察官によってなされなければならないこと前段説明した通りである。しかも元来警察職員は国家警察であろうと地方公共団体の警察であろうと夫々国家公務員法第九八条と地方公務員法五二条とによって職員団体を結成することができないから、争議行為としての怠業的行為を遂行する危険が現存するという客観的事情は、一般公務員の場合に比して更に顕著でなくてはならないであろうと思われる。そこで第一審判決が証拠の標目として挙示している本件紙片及び右紙片の交付を受けた警察職員の供述だけによっては、被告人がいわゆるレッドパージになった日本共産党員であって、本件ビラを他に十数枚所持し、その配布が偶発的なものではなくて、日本共産党の警察職員に対する工作の一環として行われたことがうかがわれないことはないけれども、検察官がその最終陳述(論告)に述べていて前記のような怠業的行為を遂行する危険があったことについて証拠ともなり得るような日本共産党の対警工作が昭和二五年七月以降の日共幹部の追放、機関紙の発行停止等を機会として反権力闘争としての色彩を帯び、昭和二六年春以来警察工作が活溌化したとか、本件紙片と同一内容の紙片が全国的に配布されたとかいう点についてはこれを知ることができない(検察官はこの点について証拠の提出もしなかったし、これらが公知の事実である旨の主張もしなかったことは、その冒頭陳述、立証趣旨の陳述を通じて明らかである。)し、日本共産党の対警察活動がどの程度に悪質であるか等については未だ知ることができないのである。従って前記のような怠業的行為を遂行する危険が現存するという点については第一審判決の理由が充分でない違法があるし、これを容認した原判決も法令の違背があると断ぜざるを得ない。

従て多数意見のように、前記文書によれば警察職員中警備、情報、捜査特務等の特高活動をするもの等に対しては「これらの一人一人を人民の敵として記憶し、来るべき日において最も峻烈なる人民の処罰を課するであろう」なる脅迫的文言を弄せる箇所等にかんがみるときは、本件被告人の行為のごとき必ずしも、その危険性なしとすることはできない」と単に文言だけから実害の危険性があると判断するのは証拠によらないで危険性の存在を推断する嫌があることになるのである。

しかしながら、被告人は前記のように日本共産党員として同党のため諸般の活動に従事しつつあった者であることは本件記録上明らかであり、本件紙片は日本共産党室蘭地区委員会名義のものであり、そこに記載された文言、更には公知の事実とされている諸般の客観的事情を考え合わせれば、原判決は未だ刑訴第四一一条に定めるような判決に影響のある法令違反で著しく正義に反するものと認めることができない。よって結局原判決を容認すべきものとし多数意見に同調したのである。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山 茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

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